「チビのサトル」のこと

「夢見た自分を取り戻す
成人ディスレクシア、50代での大学挑戦」
著:井上智
エンパワメント研究所 2018

井上智さんの「夢見た自分を取り戻す」を読んだ。
この感想は、情報が流れさってしまうように見えるfacebookではなく、当ブログに書きたいと思った。

同じように感じた人も多いようだが、
前作「読めなくても書けなくても勉強したい」
は、教師を仕事としている者にとっては、読むのが辛い本でもあった。

読めば否応なく
「自分が何もできなかった、あるいは見逃してしまったいた何人かの井上さん」
の事を考えずにはいられない本だからだ。
見逃した事実に気づくのも辛い。
気づけていながら何もできなかった場合も辛い。
辛いからこそ読まねばならない本だった。

大学への挑戦と、その並々ならぬ大変さ、
そして伝え聞こえてくる、大学生活の充実ぶりについて、
リアルタイムで知っていたからこそ、
この本がどんな内容になっているのか、ある意味ドキドキしながらページをめくって行った。

前作とは別の意味で、心臓が掴まれるような気持ちで読み進めた。
特に「チビのサトル」に出会う時はページを繰る指が止まった。

この本には、随所に「チビのサトル」が登場する。
彼が出て来ると、読む者の目の前で、現在と過去が一瞬にして一つに重なる。
「どんなに今が良くても、決して甘美にはならない過去」
があることを「チビのサトル」が教えてくれるのだ。
過去があるからこそ、今を肯定できる、などという簡単な話ではないことを、
「チビのサトル」が教えてくれる。

「チビのサトル」は「不良のサトル」や「社長のサトル」と共に、
傷ついた心のまま、
井上智さんの中に共存しているのだ。

だから井上さんは、優しい言葉で
「でも、もう大丈夫なはずなんだよ、みんなが君を見つけてくれるから」
と何度も何度も「チビのサトル」に語りかけるのだ。

一人の「オレ」の物語としてもすぐれた本だが、140ページからの
「オレからみんなへ」
でこの本の価値はさらに大きくなる
(気恥ずかしいので書きにくいが、この本が与えてくれる感動も頂点に達する)。

ディスレクシアのみならず、障害それ自体は治らない。
もちろん、それによって失った過去の機会それ自体は戻らない。
でも、メガネのように障害を補う武器を得ること、
助けを借りていいんだとわかる環境、
そして実際に手助けしてくれる人を得ることで、
人生は確実に変わる。

大事なのは、
それを得るための努力を「チビのサトル」に強いるな、と伝えてくれていることだ。
「チビのサトル」を見つけて、
大丈夫、と言ってあげて、
本当に大丈夫にしてやってくれ。
と教師たちを鼓舞してくれている。

決して忘れてはいけないのは、
「チビのサトル」は、必ずしも教室の片隅で寂しそうにしているわけではないのだ。
にこにこ明るく過ごしている、クラスの人気者の心の中に、傷ついた「チビのサトル」が隠れているかもしれない。
扱いにくい青年の何重にも固めたガードの中に、隠れているかもしれない。
だから簡単な話ではないのだ。

でも、この本の照らす先に、きっと「チビのサトル」がいるのだ。
見つけ出す手がかりはもらったのだ。

大学生となった智さんが「チビのサトル」とは同じではないように、
この本を読んだ私たちは、昨日の私たちではない。

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